新しいエピック歴史の名将孫武が10月10日に登場します。

孫武

将軍の紹介

孫武は春秋時代末期の著名な兵法家で、斉の出身です 。自身の著した『兵法十三篇』によって、呉の重臣・ 伍子胥により呉王へ推薦されました。

呉王は孫武の指揮能力を試すため、宮女たちを兵士に見立てて訓練させるよう命じました。孫武は何度も軍律を説明しましたが宮女たちは従わず、ついにはその隊長であった呉王の寵姫を軍紀違反として斬首しました。宮女たちはその厳格さに震え上がり、その後は命令に忠実に従うようになりました。愛姫を失ったことで呉王は深く悲しみましたが、孫武の練兵・統率能力の高さに感服し、彼を将軍として任命しました。

孫武の訓練により、呉の軍隊は日を追うごとに強化され、ついには南方の覇者・楚と肩を並べるまでに成長しました。楚が呉の属国を攻撃した際、呉王はその隙を突き、国家総力を挙げて楚軍を迎撃しました。孫武は敵軍の主力が前線にあることを見抜き、本拠を突く戦略を進言。精鋭を率いて楚の本土を急襲し、要塞を次々に攻略して楚の中心部まで迫りました。

楚は急ぎ軍を集結させ、国境奥深くまで侵攻した呉軍を包囲しようとしましたが、孫武は敵の動きの隙を突いて柏挙にて楚の主力を撃破。その後も残党を各地で打ち破り、ついには楚王が都を捨てて逃亡するに至りました。春秋時代の覇者・楚は、孫武の率いる呉軍によって一戦にして滅ぼされ、後に秦の援軍によってようやく再建されました。

西に強楚を破り、北に斉・晋を威圧した孫武ですが、 彼が歴史にその名を深く刻んだのは、やはり彼の著した『孫子兵法』によるものです。この十三篇から成る軍事理論書は、後世において中国のみならず、東アジア、さらには世界各地の軍事指導や研究に大きな影響を与えました。その影響は軍事を超えて、現代のビジネスや政治の分野にも及んでいます。

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