新たなエピック歴史の名将木曽義仲が10月10日に登場します。
木曽義仲
将軍の紹介
木曽義仲は河内源氏の出身です。幼い頃、父が一族の源義平に殺され、信濃の木曽谷へと避難させられ、地元の武士たちに育てられました。そのため、「木曽」 の名を名乗るようになりました。青年期から信濃で武士を集め、戦乱が再び起こることに備えて準備をしてきました。
源平の戦いが始まると、義仲は信濃で挙兵し、そのまま北陸へと進軍しました。重要な穀倉地帯である北陸を押さえるため、平家は大軍を派遣して北上し、各地の城を落としながら義仲軍に迫りました。義仲は正面からの衝突を避け、山道を利用して奇襲や撹乱を繰り返し、敵の補給路や退路を狙って牽制しました。
平家軍が倶利伽羅峠まで進軍すると、義仲は戦機が熟したと判断し、ここで決戦を仕掛けることにしました 。多くの旗を立てて軍勢を誇張しつつ時間を稼ぎ、その間に軍を二手に分けました。一方の部隊は敵の退路を断つために迂回し、主力部隊は小規模な交戦を装って敵を引きつけました。夜になると、義仲は火をつけた牛を突入させて敵陣を混乱させ、その隙に前後から挟撃を仕掛け、敵軍を崖下に追い落としました。この戦いで平家の七万の大軍は壊滅し、生き残ったのはわずか二千人でした。この勝利により、源氏は源平合戦において優勢を確立しました。
勝利の後、義仲の名声は急速に高まり、京都に入って官位を受け、「朝日将軍」と称されるようになりました。少数で大軍を打ち破り、地形と奇策を巧みに活用する彼の姿は、多くの人々の記憶に残りました。のちに鎌倉方と対立し、源氏の内戦で敗れて命を落としますが、巴御前との別れがその最期に悲劇的な英雄像を添えました。